潰瘍性大腸炎で死ぬ一歩手前まで行った話
3行でわかるまとめ
- 潰瘍性大腸炎が悪化して入院した
- 思いがけず大腸全摘手術になった
- お見舞いAmazonウィッシュリスト
悪化、入院
2020/09/05(土)から2020/10/08(木)まで入院していた。
2,3年前から潰瘍性大腸炎に持病として付き合っていて、今までに数回悪化してその都度処方されたステロイド等の薬でなんかとかやり過ごしていた。
しかし今回は頼みのステロイドの効果があまり出ず、通っていた近所のクリニックに数度行っても症状は改善しない。ついには39度近い発熱もあり、これはもうやばいなと土曜の午前中にクリニックに無理を言って駆け込んだところ、大学病院への紹介状を書いてくれその足でタクシーで向かうとそのまま入院となった。
クリニックに行く前はそのまま入院するなんて思っていなかったので、何の用意もしておらず「マジか」となった。 でもあとから冷静に考えてみると、症状から言ってまあ入院だよねとは思ったけど。
〜2週間
入院するとすぐに絶食になった。
採血からレントゲン、CT、胃・大腸内視鏡などいろいろな検査を受けたが状態はかなり悪化していたらしく、重傷判定だった。
3日目ぐらいには GCAP と呼ばれる増えすぎた白血球を減らすための血液透析受けた。この透析自体は痛くもなにもないけど、このために首に太い針を刺さねばならず、局所麻酔はしていたようだけどこれが痛かった。また、絶食中の栄養補給のためこの首の針から高カロリー点滴を24時間長し続けることになり、この点滴が2週間続いた。
入院前の悪化している期間もそうだったけど、この期間中も基本的に昼間は痛みはあまりないが夜になると胃のあたりから腸にかけて痛みが襲ってきて、2週間ほぼ毎日夜中に鎮痛剤を点滴で入れてもらっていた。
絶食中なのでお腹は減る。点滴で必要な最低限の栄養は入ってきてるとはいえ、胃は空っぽのためずっとお腹が減っていた。食事の時間になると同室の他の患者は普通にご飯を食べるため匂いで余計にお腹が減ったりしていた。
〜3週間
潰瘍性大腸炎が悪化してくると免疫抑制剤を服用することが多く、入院前に1種類服用していたことがあった。でも体に合わなかったのか医者と相談して一時的に止めていた。 それとは別の、割と強く即効性のあるタクロリムスという免疫抑制剤を2週間程度経過するまで処方された。これがすぐに効く患者が多いそうだけど、その後の大腸内視鏡の再検査では悪くはなっていないが特別良くもなっていないという感じで2週間治療したわりには回復が遅かった。
そこで、レミケードと呼ばれる生物学的製剤の投与を行うことになる。この薬、自分で調べていると治療を大きく変えた薬と書かれているが、副作用もそこそこ強い。潰瘍性大腸炎は免疫が暴走して自分自身の腸を攻撃してしまい炎症する病気(バグ)で、この悪さをしてしている細胞を無理矢理抑えるような働きをする。
点滴で投与するがアレルギー反応が出やすく、症状が出る人は30分程度ですぐに何かあるらしいため、初回は投与中頻繁に看護師が容体をチェックしにきていた。自分の場合は幸い何も起きなかった。
投与後どれくらい即効性があるのかは正直わからないが、毎日夜中に使用していた鎮痛剤の回数はすぐに減り、翌日か翌々日には鎮痛剤がなくても眠れるようになった。
これと同時期に絶食が終わって食事が再開された。とはいえ2週間何も食べていなかったのと、腸の状態が元に戻ったわけでもないため流動食から始まった。メニューは重湯と味噌汁とコーンスープのような水分ばかりで、とにかく重湯が味気なかった。まあ食べられるだけマシかと思い少し残しつつも2/3ぐらいは食べていた。
食べ始めた直後は久しぶりに食べ物が入ってきたからか食後2時間ぐらい腹痛があることがあったがそれも徐々になくなっていった。
再び悪化
ここまでの記事を入院して2週間程度で一気に書いたのだけど、ここからの続きを書き始められるようになるまで1週間以上空いてしまった。当初の予定では3週間の入院だったのでそろそろ退院のことも考え始めていたのだが、ここまではまだ前編で後編が始まっていなかったとは思いもしなかった。
食事を始めてから数日が経った日トイレに行くと、入院して2日目以降は出ていなかった血便が出始めた。嫌な予感がして看護師に報告した。その日はあと数回便が出たが、赤みは減っているように見え、一時的なものであってほしい願っていた。
しかしそんな希望も虚しく、翌日には真っ赤な血便とともに今までは無かったお腹の部位が痛み始めた。突然40度を超える熱も出始め、血液検査では色んな値も急激に悪化し、CTを撮ると腸閉塞の疑いがあると言われた。その後色々と検査をしたが、その頃には立ってトイレにすら行けないほど痛みは強くなっていた。
土曜日、手術になる可能性があると医師に告げられた。ただの手術ではなく大腸全摘の。名前の通りやばそうな手術で、手術に向けて準備をしてきた人でもすぐには回復しない。それを救命のために緊急でやる。命懸けの手術になると言われた。自分の知らない間に家族が病院に呼ばれ、今どういう状況か、どうなる可能性があるか、どうする方針かなどの説明があったらしい。
その後すぐ自分にも手術の同意書が渡された。手術はいつなのかと聞くと、「今日の夜には」と返ってきた。そこまで緊急なのかと思いつつも手術の時間は少し早まり15時半には、「起きたら大腸無くなってるのか」と思いながら手術室に運ばれた。
ICU
目が覚めるとICUにいた。痛いし声は出ないし体も動かない。あまり何も覚えていない。
翌日目が覚めるとどういう場所なのか目で見て確認する程度のことはできた。ICUには2日程度いたけれど、地獄で、とにかく早く一般病棟に戻りたいという気持ちが強かった。
うまく言えないが、集中治療しないといけない人たちが集められているため本当に24時間管理が行われている。そのため一般病棟の看護師のような和やかさは1ミリもなく、緊迫感と殺伐な感じがすごかった。
大量の点滴が繋がれていて、その中の一つに麻薬があった。最初麻薬と聞いたときは、え、と思ったが医療用としては普通に使うものらしい。麻薬のせいだと自分は思っているけど、目を開けているとそこら中の模様など、動かないはずのものが動いて見え、目を瞑ると気分の良くない色んな映像が大量に頭に入ってきて悩まされた。寝れなかった。
翌日、もうICUにいたくないから一般病棟に移らせてほしいと頼み月曜日の午前中には移動した。
術後 〜1週間
3日ほど個室で過ごした。
お腹がざっくり切られているため痛みで立てずトイレにすら行けなかった。しかし人間の回復力はすごいもので2,3日すると必死になりながらもトイレに行ったり数十メートル歩ける程度までにはなっていた。
病院側の判断で個室に入っているため、個室料金はかかっていない。手術前には3秒ほど挨拶しただけの看護婦長が、個室に入った翌日にはやってきて、いつまで個室にいるかみたいな会話を振られた。要はさっさと出て行けという話。露骨でちょっと笑った。
ICUではあまり聞けなかったが、一般病棟に戻ってから外科医/内科医ともに色々話を聞くと、開腹してみると大腸は5センチ以上に腫れ上がり、謎の黒い線やブツブツができ、血液も大量に(1リットル程度)含んでいて本当に死ぬ一歩手前だったと言われた。
ICUにいる間はそんなことを考える余裕もなく傷口もはっきり見えていなかったが、体が動きはじめるとそれも見えるようになり、人工肛門になっていることも認識せざるを得なかった。ストーマと呼ばれる、小腸の一部を腹部の上に出しそこから廃液(小腸を通った後の便になる前のもの)がそこから常に排出される。そのため、腹部からそれを受けるための袋を貼りつけておかないといけない。週に2回程度の交換や1日に何度も排出されたものをトイレに捨てる作業。これまで大腸が行っていた仕事を自分でやらなければいけなくなった。
しかし永久というわけでなく、半年程度で人工肛門は閉じ、肛門と小腸を繋げる手術をするとこれは無くなるらしい。
この袋は実費で購入するのだけど、なぜか保険が効かず、永久人工肛門でないと区などの補助も出ないというどういうロジックなのか理解できない制度になっているらしい。やっていることは同じだろうと思うのだけど。
手術前にも少し調べたことはあったが、まさか自分がそうなるとは思っていなかったため詳細なことは何も知らず、どんな見た目のものなのかも知らなかった。だんだん現実がわかってきて、「とんでもないことになった。これから大丈夫だろうか。どうしておれなんだ。」と、夜寝る時に個室で考え始めると怖くなって眠れないことがあった。
術後5日目の昼食からご飯がアップグレードされた。入院して1ヶ月近く、流動食を数日食べた以外はずっと絶食の点滴生活だったが、歯応えのあるものを初めて食べられた。怖さはあるし病院食なので特に美味しいものでもないけど、嬉しかった。
術後 〜2週間
術後1週間が経過すると食事がまたアップグレードされ三分粥から全粥になる。
また、このときからパウチ(人工肛門につける袋のようなもの)の交換方法を指導された。これは作業を覚えるだけのものなので特に難しくも無いが、肌に直接貼り付けてる物のため、皮膚トラブルに注意するためのツールが色々とあるらしい。無限に種類があるので、ある程度は専門の看護師に術後の患部の様子を見て選択肢を絞ってもらった。そして、申し訳ない気持ちはありつつも、自分が別の病気等何かの事情で一時的に交換作業ができない状態になったときのために、奥さんにも病院で交換の練習に付き合ってもらうことになった。ありがたい。
そこから数日すると、お粥ではない普通の白米が出るようになった。ふつうの人間っぽいご飯を実に1ヶ月以上ぶりに食べた気がする。ただの白米だけどおいしかった…。
そして術後12日目、退院した。手術前に、「回復の早い人でも退院まで2週間程度、通常は1ヶ月以上」と言われていたので、わりと早く退院できた。でも傷口はまだ力を入れたりすると普通に痛むので、ほんとにこんなに早く退院して大丈夫なのかという気持ちはありつつも、早く退院したいとずっと思っていたので、嬉しかった。
最終日に自分の大腸の写真を見せてもらったけど、大腸の太さが5センチ程度に腫れ上がっていて中には血が1リットルほど貯まり破裂寸前だったらしい。医者が診ても「うわぁ…」という感じだったと聞かされた。写真は何枚かあったがどれでもエグい写真だった。
金銭面について
入院費用は3割負担でも総額で軽く3桁万円を超えていた。しかし高額療養費制度や、難病手帳(潰瘍性大腸炎のもの)の限度額制度などを使うと1桁万円になり、日本の社会保障はすごいなと改めて思った。それでも自腹分はある程度発生してしまうが、たまたま先進医療目的で入っていた安い掛け捨て保険があり、入院日数がある程度行くとまあまあの金額になって手術もあったためそこそこの金額が下りることになった。
正直、役に立つ日がくる予定はなかったので、人生何があるかわからない。
入院中にやっていたこと
体調が悪いときはスマホをひたすら触ることしかできなかった。体調がマシなときや術後は、持ち込んでいたMacをひたすら触るかKindleで本を読むというどっちにしてもインターネット三昧だった。突然の入院だったので通信環境の準備を何もしていなかったけど、途中から楽天UN-LIMITのeSIM契約することでデータ使い放題の恩恵にあやかれた。とにかく便利で1日平均6-7GBの通信をしても連日問題なく使えてとても感謝している。自分が入院していた病院は都内の都心にあったため楽天4Gのエリア内だったことが大きかった。
おわりに
今年の4月にこんなことを書いていたが、
おれの人生この腸を制御するのが1番の仕事なんだな感がわかってきた
— wzz 😇 (@wozozo) April 6, 2020
できなかった。かなしい。
でも生きてる。よかった。
子どもの相手が1ヶ月ぶりにできてうれしい。
まだ後処理の手術が半年後ぐらいに2回残っているけどがんばって生きます。